plmberg’s blog

備忘録

震災から10年

ここ最近精神的にやられてきています。自粛疲れってやつでしょうか。

本を読んでも内容があまり入ってこなくて、焦るばかりで集中ができません。

 

一旦目の前の悩みからは離れるとして、気が付けば東日本大震災から10年が経ちました。たまには昔を振り返るのもいいかなと思いましたので、当時新宿区にいた自分を振り返ってみることにします。

10年前の14:46

当時は友人と東西線に乗っていて、友人は裁判所事務官の説明会、自分は大学へ向かっていた気がします。ところがビーッ!!というアラートが鳴り出して(おそらく地震検知システム)運転手に車内から誘導されて駅のホームの壁側で、その直後にとてつもない揺れの中ヤフーニュースを真っ先に開いて地震情報で震度7の数字をみたのを思い出します。

 

地震は収まり、早稲田駅のホームを出ると外は徒歩で歩く人たちで大混雑。一先ず高田馬場の友人の家を目指して歩きます。当時はスマホもなかったのでちょっと大変だったのを覚えています。道中、自動車販売店で契約を交わしたであろう店員とお客さんのやり取りをみかけたのが現状との対比で忘れられません。高田馬場周辺まで歩いて行くと、公衆電話に並ぶ行列、路肩で座り込んで泣く女性、あんな光景は一生忘れないでしょう。

 

そんなこんなしていると、おなかは空くもので、ごはんをどうしようかって考えていたら、高田馬場駅近くの松屋が営業を再開してくれたのは本当に助かりました。それからしばらくは私の自宅へ続く湘南新宿ラインも運休でしたので、友人の家に泊まり込んで生活していました。

 

当時はインターネットだけは利用できる環境だったのが幸いでした。

Twitterでは「サーバーが倒れてきて下敷きになった、助けて!」というデマに対して、山口一郎さんが「絶対にこういうことはやってはいけない」って強く戒めのリツイートをしていたのも印象にのこりました。デマは溢れたにせよ、通信網が生きていたのは非常に心強かったです。

 

それから電車が復旧して、まどマギが深夜に再生されたり、サカナクションのルーキーが3/16に発売されて、実家近くの今は亡き新星堂で購入したのを覚えています。

 

おわり

大学を卒業して、今の会社に入って、いまだに大学生の延長線上にいる気がします。

新卒を逃して、勝手に憔悴して、この組織に入ったら一生安泰!て思って就職した当時の自分をちょっと責めたいです。

 

話は現在に戻って、まさかその10年後の今、世界がコロナウィルスに悩まされているとは思ってもみませんでした。

一時は完全自宅待機になって、自分の人生観や仕事観について考える時間が増えました。大学生の延長戦から脱却して、いい方向に向かえるようにがんばります。